バッハの森通信第58号 1998年1月20日 発行

巻頭言 「響きのある語り」

エヴェレスト登頂以上の感動を求めて

皆様は、どのようにクリスマスを祝い、どのようなお正月をお迎えになったでしょうか。バッハの森では、年が改まっても、先月開いた数々のクリスマスの催しの余韻を楽しみながら、これを新しい年の出発点にしたいと願っております。
11日間に5回の催しを開いた「バッハの森のクリスマス」では、朗読劇によるクリスマス物語、名画のスライド映写を伴うクリスマス・オラトリオの鑑賞など、新しい試みもそれぞれ予想以上の成果を収めましたが、何と言ってもJ.S.バッハとH.シュッツの合唱曲を中心としたコンサートで味わった感動を忘れることはできません。勿論、演奏が完璧だったとは思っていません。しかし、少々の失敗が気にならないほど感動的なコンサートになったことは、後に皆さんが口々に語って下さった感想から明らかでした。これは、追求してきた「響きのある語り」を、まがりなりにも私たちが表現できただけでなく、聴衆の皆様が、このような音楽造りに共感して下さったことから生じた感動でした。なお、「響きのある語り」とは、前号の『バッハの森通信』で紹介したニコラウス・アーノンクールの『響きのある語りとしての音楽』(Musik als Klangrede)という書名に由来します。
この「響きのある語り」を作り出すことは、私たちにとって決して易しい作業ではありませんでした。発声に始まり、音程、リズム、テンポ、ハーモニーなどを整えて「音楽的響き」を作りながら、同時に繰り返し繰り返しドイツ語の歌詞を「語る」練習をしました。言うまでもなく、歌詞をいくら正確に発音してみても、意味を理解しなければ「語り」にはなりません。そこで、歌詞を翻訳してみるだけではなく、その雰囲気を理解する助けとして、訳詞でも歌ってみました。本来ドイツ語の歌詞につけられた音楽は、いくら訳し直しても日本語ではよく響きませんが、少々「響き」を犠牲にしても、ドイツ宗教詩という異文化を「語る」ためには、有効な一つの試みだったと思います。
いずれにしても、私たちは西洋音楽が異文化であるという自覚に基づいて、主にバロック時代のドイツ教会音楽を学び、歌い、演奏しています。そのために、私たちが学ばねばならないことは無限にあります。まず、異文化を理解するには、その文化を育んだ言語、風土、歴史を知る必要があります。その上、バロック時代の教会音楽には、中世、古代、旧約聖書にまで遡る古い伝統があります。バロック時代のドイツ教会音楽を「響きのある語り」にする作業は、学び尽すことのできない宝の山を永遠に掘り進んでいるようなものです。
それにしても、バッハの森は、なんでこんなに難しいテーマを選んだのか、という声を耳にすることがあります。このような疑問に対して、バッハの森の活動は登山のようなものだと、お答えできるでしょうか。確かエヴェレスト登頂に初めて成功した登山家だったと記憶しますが、何で山に登るのかと聞かれて、「そこに山があるから」と答えた話は有名です。山があれば、命がけでも登らずにはいられないのが登山家なのでしょう。こういう人に「なぜ」と聞いても意味が無いのです。同様に、バロック教会音楽を「響きのある語り」にする面白さは、登山家の眼前に山が聳えているようなものなのです。
申すまでもなく、バッハの森クワイアはアマチュア合唱団です。しかも、コンクールも演奏旅行も目指していません。私たちの目的は、純粋に「響きのある語り」を作り出し、バッハの森奏楽堂に集まって下さる皆さんと、バロック教会音楽の比類のない感動を一緒に楽しむことです。エヴェレスト登山のようなフィジカルな危険性はありません。しかし、エヴェレスト山にもたとえることができるような、バッハの偉大な音楽のとりこになると、命をかけても惜しくなくなる点、エヴェレスト登山と同じ、いやそれ以上に危険なことかもしれません。このような感動のある音楽を、ご一緒に歌い、ご一緒に聴いて下さる方々のご参加を、心からお待ちしております。

(石田友雄)

バッハの森リポート 44

これほど盛り沢山のクリスマスは、バッハの森始まって以来、初めてのことだったと思います。12月14日から24日までの11日間に、2回のコンサート、朗読劇「クリスマス物語」、祝会、イヴのクリスマス・オラトリオ、それにこの期間を通じて、クリスマス人形(クリッペ)の展示会を開きました。

不思議なお祭り
最初のクリスマス・コンサート(12月14日)では、受胎告知、アドヴェント、マニフィカトをテーマにした音楽が、合唱とオルガンによって次々に演奏された後、未飼いに救い主降誕の知らせを告げる天使の歌声をソプラノが独唱、その後で、次のようなメディテーションが朗読されました。

「クリスマスは不思議なお祭りです。今年もまた世界中で、何十億の人たちがクリスマスをお祝いしています。ユダヤ人やイスラム教徒のように、強烈な宗教的アイデンティティーを自覚している人たちは別として、キリスト教文化とは疎遠な日本人まで参加してこれほど大勢の人たちが世界中で一斉にお祝いをするお祭りは他にありません。その起源を知らない人たちも、クリスマスの温かい雰囲気にあこがれてお祝いする不思議なお祭りなのです。
クリスマスの不思議は、2000年前にナザレのイェスの弟子たちが、彼の死後、彼の思い出に深い感動を覚えたことに始まります。かれはエルサレム郊外の刑場で、十字架で処刑された人です。その訴状は、社会秩序を乱し国家転覆を謀り、『ユダヤ人の王』と名乗ったということでした。確かに、イェスは当時の支配者たちを激しく非難しましたが、ローマ総督の尋問に、『私の国はこの世には属していない』と答えているように、国家権力を暴力によって奪取する革命を目指していたわけではありません。
しかし、彼は誤解され、それまで寝食を共にしてきた弟子たちにも理解されませんでした。彼が政治犯として逮捕されると、弟子たちは逃げ去り、ただ一人、人々の嘲りの中、最後には、『私の神様、私の神様、なぜ私をお見捨てになったのですか』と叫んで息絶えたと伝えられています。彼は絶望の極致で死んだ人なのです。
ところが、この後で不思議なことが起こりました。一旦ちりぢりに逃げ散った弟子たちが、彼を思い出して集まってきたのです。彼らは彼の強烈な思い出に深く感動していました。そして『私の国はこの世には属していない』と言った彼の言葉の意味が、初めて解りました。生前の彼の行動を思い出すと、彼が目指していたことは、人を支配する権力によらず、人を生かす愛によって、この世の国には属さない国を建設することだったのだということが、ようやく理解されたのです。自分たちが悟ったことを、彼らが熱心に伝え始めて300年経ちました。
この間に、彼らの主張は再び誤解され、国家権力によって激しく弾圧されましたが、彼らに同調する人々の人数があまりにも多くなったため、結局4世紀初めに、ローマ帝国はキリスト教を公認し、その後、帝国の国教と定めました。これは大きな矛盾でした。この世に属さない国の建設を目指す人々が、この世の権力と手をつないだのですから。しかし、この大きな矛盾を絶対に犯さない自信を、誰が持っているでしょうか。この時から今日まで1700年の歴史が、私たちは誰でも、この世の国をこの世に属さない国と取り違える傾向を持っていることを、証明してきたからです。
しかし、同時に、十字架の上で絶望の果てに息絶えた人を思い起こすと、深い感動を覚える不思議な思いが、2000年もの間、世代から世代に語り伝えられ、歌い継がれてきたことも忘れてはいけません。彼の誕生を祝うクリスマスの温かい雰囲気は、このような熱い心が作り出してきたものなのです。私たちも、この不思議な思いを歌ったクリスマスの歌を、ご一緒に歌ってみませんか。この世に属さない不思議な国の心温まる喜びを味わうことができるかもしれません。」
以上のメディテーション朗読の後で、ルターのコラール「高きみ空より」全15節を、独唱、3重唱、合唱、斉唱に、オルガンとトランペットの間奏を入れて聴衆にも賛歌していただいて歌いました。歌っているうちに、演奏者と聴衆の垣根はなくなり、参加者全員が一つの高揚感に包まれ、感動した歌声が奏楽堂に響きました。

もったいない
コンサートの後で、聴衆の皆さんと演奏した皆さんが一緒になってお茶の会を開きました。その時、皆さんが口々にコンサートの感想を話して下さいましたが、感想を、ある方はアンケート用紙に書き残し、ある方は後から手紙で書き送って下さいました。その一部をご紹介します。
「とてもすばらしかった! 久しぶりにバッハの森のコンサートに参加いたしましたが、いつもながら、一貫性のあるプログラム構成にバッハの森のポリシーがよく表れており、説得力がありました。イェスの降誕を予感させる『いかに麗しく輝くや、暁の星は』の合唱に始まり、受胎を告知する天使に答える処女マリアの信仰告白『我が魂は主をあがめ』をはさんで、最後は天からの喜びの音信であるコラール『高きみ空より』の15節を、ソロ、斉唱、合唱、オルガン、トランペット、それに参加者一同の斉唱で歌いましたが、変化あるスタイルに支えられて、およそ1時間半を心熱くして過ごすことができました。どの演奏もそれぞれに心に響くものに溢れていましたが、特にわずか10数人で歌っていた合唱は、大切なのは人数ではなく音楽の質だということを思わせる感銘深い演奏でした。コンサート全体は、聴くものとして演奏を聴いたというよりは、参加したというのが実感でした。素晴らしいクリスマス・プレゼントに感謝します。」

(東京都 菅野和子)

「心にしみる美しい音色のクリスマス・コンサートを聴かせていただき、本当にありがとうございました。コーラスが、"Wie schoen leuchtet..." (いかに麗しく輝くや)と歌いだしたとき、その清澄な響きは、天上からの天使の合唱を思わせ、背筋がゾクッとするような感動でした。表現する言葉がみつかりません。"Vom Himmel hoch..." (高きみ空より)のコラール全曲演奏も素晴らしかったです。歌える日本語訳、聞ける日本語になさるご苦心が報いられる演奏だったと思います。どちらのテーマも懐かしいコラールでしたが、新しい思いで聴かせていただきました。最後のパッヘルベルが、今も心に響いています。」

(山形県 今野和子)

「大変内容が豊かなコンサートだと思いました。集まってくる皆さんが、温かいものを持っておられるようで、このような集いがあちこちにあれば良いと思いました。メディテーション、大変面白く、ゆっくり、じっくり、改めてもう一度うかがいたいと感じました。バッハの森の皆さん、大いにご活躍ください。もっと多くの方が来られると良いですね。」

(山梨県 安藤恵美子)

「楽しませていただきました。とても面白い構成で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。パイプオルガンの演奏者の姿が見えないので、天からの声のように聴こえるのですね。コンサート後にお茶が出たのも、すごく嬉しかったです。ご馳走様でした。」

(つくば市 西浦希)

「素晴らしゅうございました。ただもっと沢山の方に聴いていただいた方が。もったいない!」

(つくば市 児玉須美子)

カミサマがきたところがよかった
12月21日に開いた「朗読とスライドと音楽でつづるクリスマス物語」は、全く新しい試みでした。朗読劇「クリスマス物語」は、背景にスライドで名画を写しながら、新約聖書のルカによる福音書をそのまま、福音書記者、天使、マリア、エリザベト、ザカリア、羊飼いなどの配役に従って、6人で朗読しました。大人は別として、15人集まって下さった子供たちは、明らかに小学校低学年、あるいはそれ以下なので、初めは難しすぎないかと心配しましたが、皆、終わりまで静かにしていただけではなく、ちゃんと感想文を、ほとんど大きな仮名文字だけで書いていって下さいました。いくつかご紹介します。
「クリスマス物語がおもしろかった」

(つくば市千現 飯田綾子)
「さいごのところがたのしかった。カミサマがきたところがよかった」
(つくば市千現 森陽平)
「天国から天しがおりてきたところのおはなしをきいて、とてもみたくなりました。こうゆう会をひらいてくれてどうもありがとうございました」
(つくば市二の宮 木村有沙)

たより


バッハの森の秋のシーズンはいかがですか。1989年秋に初めてバッハの森に招待して下さったとき、日本の秋が美しかったことをよく覚えています。今年の秋、私はオスロの古城のチャペル、アントワープとチューリヒの大聖堂などで演奏しました。今日は初めて薄い氷が家の前の池にはり、いよいよ冬の到来です。
当地では、先日、ヨハネス・ブラームスのレクイエムを指揮しましたが、聴衆の皆さんからは、感銘深い演奏だったと批評をいただきました。アドヴェントとクリスマスには、シュヴェリン郊外の村の小さな教会も含めて、5回のコンサートを予定しています。皆様もクリスマス・コンサートとクリスマスの展示の準備をなさっていることでしょう。ご成功を祈ります。シュヴェリン大聖堂にもクリッペ(クリスマス人形)が展示されます。では、皆様が楽しいクリスマスと良い年をお迎えになりますように。

(ドイツ・シュヴェリン ヤン・エルンスト)

訃報 昨年11月13日に、江戸英雄氏が逝去されました。江戸氏は、1985年のバッハの森創立以来、1995年まで10年間5期にわたり、財団法人筑波バッハの森文化財団の評議員として、バッハの森を御援助下さいました。謹んで哀悼の意を表し、江戸氏の御冥福と、御遺族の皆様の上に天よりの慰めがあることをお祈りいたします。

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